キングコング・セオリー ヴィルジニー・デパント 相川千尋 訳

2020年、柏書房

フェミニズムにはずっと興味を持ってきたし、支持してきた。
でも元恋人とそのことがきっかけでけんかして破局したし(別の問題があったけど最後のけんかはそれだった)、昨今のフェミニズムの盛り上がりによるアンチフェミニズムの盛り上がり、ネット上の争いを見ていると少し疲れてきている。
もちろんそれで、女性の権利に対する考えが変わるわけではないけれど。

 

フェミニズムに関するいろいろな文章を読んできたので、このエッセイの翻訳が出版されると知ったとき、だいたい書いてあることが予想できた。それでも購入して読んだのは、帯にもある冒頭の文章に惹かれたからだった。

 

私はブスの側から書いている。ブスのために、ババアのために、男みたいな女のために、不感症の女、欲求不満の女、セックスの対象にならない女、ヒステリーの女、バカな女、「いい女」市場から排除されたすべての女たちのために。最初にはっきりさせておく。私はなにひとつ謝る気はない。泣き言を言う気もない。自分の居場所を誰かと交換するつもりもない。ヴィルジニー・デパントであることは、他のなによりおもしろいことだと思うから。
p.10

 

率直に、私のために書いてくれてありがとうね、と思った。
エッセイなので学術的な要素は少ないが、怒りとともに表明される彼女の意見には元気をもらえる。
レイプの被害にあうこと、売春をすること、ポルノを観ること、ポルノに出演すること、女として表現活動をすることに関して、彼女の経験を通した意見が書かれている。
それらに通じているのは、社会権力が女のあるべき姿を規定して、女をそこに押し込めようとしていることへの反発だ。

 

女自身に内在化されている社会権力の影響について述べられたレイプの章が印象に残った。ヒッチハイクの途中、車内でレイプされ、恐怖のあまり持っていたナイフを出して抵抗できなかったこと。
しかし多少なりとも暴力的なシチュエーションで囚われの身となり、レイプされる妄想をする女は特殊なものではないだろうと述べる。それは社会システムに作られたもので、その妄想はレイプされたことを自分の責任だと考えさせ、罪悪感をうむ。
確かにそのようなシチュエーションを描く作品は山のようにあるし、暴力的なシチュエーションを妄想するという女の話を聞くのも珍しくはない。今までそれについて何も疑問に思っていなかったことに気がついた。そのような社会的素地は確かにあって、多くの人が影響を受けている。
気づかないうちに社会の影響を受けていることは自覚するようになっているけど、性的な妄想の範囲までは考えたことがなかった。

 

訳者後書きにもあったけど、彼女の全部の主張に賛成できるわけではない。あくまで個人的な体験をもとにして書いているから、一概にそう言えないと思える部分もあった。例えば、売春について。

性産業に従事する女性に対する社会の偏見に怒りを表明し、彼女がその経験で得たポジティブな影響に言及する。確かに彼女にとっては自分で行い、責任をとれる範囲の行動なんだろうが、全員がそうじゃない。性産業だけを他の仕事と分けて考えることの是非から考えないといけないが、やはり暴力や搾取に繋がりやすいところはあるので、規制については慎重に行わなねばならない。

 

女性を抑圧する(男性も抑圧する)社会構造や社会規範に目を向けるために読むといいと思う。言葉遣いも面白くて、好みはあると思うけど、怒りが小気味よく、読んでいて気持ちいい。